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訪問したところ

[8] 霞山会館 カフェ・レストラン ピオニー (霞ヶ関, 2010.5.15)


眺めも「ごちそう」 37階からの眺望でおくつろぎください。カフェ・レストラン&バー PEONY
本格の味わいをご提供するカフェ・レストラン。都心の眺望を楽しみながら、ゆったりとした時間をお過ごしください。夜はバーラウンジとして、くつろぎの空間を演出します。

10:00~11:30.....カフェ
11:30~14:00.....ランチ
14:00~17:00.....カフェ
17:00
http://www.kazankai.org/kaikan/peony.html
霞山会館:東京都千代田区霞が関三丁目2番1号 霞が関コモンゲート西館37階
TEL. 03-3581-0401代表 FAX. 03-3581-0448





●東亜同文会館
 財団法人霞山会の前身である財団法人東亜同文会(注1)は、近衞家より寄贈された東京目白の地所の売却代金を基金に、有志の寄付を加え、千代田区霞が関3ノ4(当時麹町区三年町1)の御料地を借り、昭和3(1928)年4月会館建設に着手、同12月に竣工させた。

 旧霞山会館:
 鉄骨鉄筋コンクリート造、2階建 延べ305坪(1008.3㎡)
 設計:岡田信一郎
 施工:清水建設株式会社(当時清水組)


 東亜同文会は有楽町の仮事務所から移り、初代会長近衞篤麿の雅号を冠して霞山会館とした。終戦による東亜同文会の解散まで本部として機能し、会員定例の会合、講演会、その他官民の各種会議の会場として広く利用され、東亜関係者結集の舞台となっただけでなく、近衞文麿、阿部信行内閣の組閣本部として脚光を浴びたこともあった。

旧霞山会館
 (注1)東亜同文会は、「東亜会」と、陸羯南、犬養毅などによって結成された「同文会」が明治31(1898)年11月に合流し、「東亜の保全と輯協」を目的として発足した。

●霞山会の設立
 東亜同文会は昭和20年の終戦によって歴史的使命を終え、昭和21(1946)年3月1日付で解散の認可を受けた。清算完了後、昭和23(1948)年3月24日、同会主要資産を継承して、財団法人霞山倶楽部が正式に設立された。その後、昭和33(1958)年に財団法人 霞山会へと改称した。

●米軍による接収
 霞山倶楽部は設立されたが、事業の本拠となるべき霞山会館は占領軍に接収されていたため、昭和30(1955)年の返還までは、西神田にある東方学会に仮事務所を設置した。

●接収解除から霞山ビル建設
 返還された会館は著しく荒廃していたため、昭和34(1959)年、資産の拡大と恒久的な自主経営の基盤形成のため新しいビルの建設に取り組むこととなった。

 ・昭和35(1960)年12月 国有地買受
 ・昭和36(1961)年6月 旧霞山会館の解体着工
 ・昭和39(1964)年2月 新ビル竣工、霞山ビルと命名9階に霞山会館を設置
  以後、留学学術研究交流等の事業を展開

 霞山ビル:
 鉄骨鉄筋コンクリート造、地下3階、地上9階建 延べ3670坪(12132.21㎡)
 設計:松田平田設計事務所
 施工:大成建設